Adoさん「うっせぇわ」に感じた違和感
Adoさんの「うっせぇわ」話題ですね~
2020年10月公開ということでもう3か月経っているみたいですがまだまだ話題に乗っている、というかますます伸びている感じ。
とにかく声が素晴らしい。歌い方もパワフルかつ変幻自在でまったく飽きません。
歌ってみたとかの派生動画もたくさん出ていて、これまたいいのがたくさん。
特に好きなのはこれかな笑
すごい。似すぎだし替え歌も面白い。
違和感について
そんな各方面から絶賛の「うっせぇわ」ですが、最初に聞いた時からある点に違和感を感じました。
それは後半ラストにかけてのの転調なんですよね~
転調で1~2度上げるのって他になんもしなくてもそれだけで繰り返しのマンネリを打破できて盛り上げられるんですけど、一方で転調だけに頼って盛り上げようとしちゃう麻薬みたいなとこがあって・・・多分曲を作る人それぞれ転調については思うところがあるんじゃないかなと思います。
ぼくはというと転調には2種類あると思っていて、積極的に点を取りに行く「攻撃的な転調」と、他にできることがないから間を持たせるためにやる「逃げの転調」があるように感じています。
Adoさんの「うっせぇわ」で気になったのは
とりあえず転調した「逃げの転調」に思える
ことと、
そもそも逃げる必要が全くなくね?
ってことです。
Adoさんの変幻自在なボーカルのパワーはこの転調の時点ではリスナーはまったく飽きがきてないと思うんですよね。もっと聴きたい!聴いていたい!みたいな。だから転調いらないんじゃないかなーって。。。
いや、むしろ転調が逆に作用しちゃってパワーを削いでいるような気すらします。
ま、それを感じたのも5回目を聴くくらいまで。
あとはもう転調に慣れちゃって受け入れている自分がいますが笑
最初の5回を聴くくらいまでの気持ちを思い出しながら書いてみました。
逃げの転調を安易にしないよう気を付けよっと(戒め)
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